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日本史のなぜ?を裏事情について

海部郡大治町の個別指導塾

「個別指導のキューブ」

大治校の塾長大谷です。

今回のブログのネタは「日本史のなぜ?を裏事情」について紹介します。



テーマは「桶狭間の戦い」です。
桶狭間は、愛知県名古屋市緑区と愛知県豊明市にまたがる地域になっています。
戦国時代と言えば、アニメでも戦国バサラでも有名で知っている方も多くいると思います。

まずは、「桶狭間の戦い」の概要について説明します。
16世紀半ば、尾張から織田氏が台頭してきました。織田氏はもともと守護・斯波氏の守護代であったが、下剋上を果たし、織田信秀が戦国大名として進出しました。
*守護 ・・・現在の知事に似る形 軍事指揮官や行政官
*守護代・・・守護の代官 在国しない守護の代わりに行政を行う人

その地位をより強固にしたのが息子である信長でありました。
信長は清須を根拠地として活躍し、1560年にはその名が全国にとどろくようになりました。
*清州・・・現在の愛知県北西部に位置している
その契機は今川義元を相手に戦った「桶狭間の戦い」です。

義元は駿河・遠江・三河を支配する戦国大名でした。
*駿河・・・現在の静岡県 遠江・・・現在の静岡県磐田市 三河・・・現在の愛知県東半部  

今川氏は元々駿河の守護の名門であり、兵力も織田氏より断然多くありました。
織田氏が2000人だったのに対して、今川氏は十倍以上の25000人であり、力の差があったのは明らかなのが分かりますよね。

しかし、戦局の結果は織田氏の勝利となりました。

なぜ兵力の差が明らかだったのに織田氏が勝てたのでしょうか?

それは、信長の緻密な情報網を設けて敵の本陣を割り出し襲撃しました。
その中から今川氏をあっさりと見つけ出し、首を取ったとのことです。

歴史は暗記科目として覚えられがちですが、こういった「なぜ?」を考えることで、歴史に対して興味を持つことができます。

ところで、この戦いでは、今も専門家の中で意見が分かれているのは、今川軍の尾張侵攻の真の目的です。
*尾張・・・現在の愛知県西半部

その一つとされているのが、「上洛」です。つまり幕府を転覆させ実権を握る為の過程であったのではないかとされています。
*上洛・・・地方から京都へ行くこと(昔は江戸時代までは京都が首都だったため)
もう一つは、上洛が目的ではなく、「最初からライバルの織田氏を襲った」というのも議論されています。

定説では、今川氏は武田氏や北条氏と結びついていたため、基盤はがっちりしてたため、中央へと向かったとも考えられています。
しかし、中央の覇権を得ることはで難しいと理解した上で、織田氏を倒して領土拡大をし、中央での優位な地位を目指したのではないかとも考えられています。

私は社会・歴史には興味があり、大学の学部でも歴史学部に所属し、古代日本史を専攻していました。
社会・歴史のおもしろさを子どもたちに伝えたいということもあり、社会・地歴公民の教員免許も取得しました。

私の塾では、社会や理科をただ暗記するのではなく、流れをつかめるようなプリント作成も行なっています。
社会・理科は点数がとりやすいということもありますが、子どもたちからは苦手科目にも挙げられる科目もあります。

苦手科目を克服する授業を行なっていますので、ぜひ体験にお越しください!

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